人ですもの日々平穏を臨んでいたとしても、どこかでいやな境遇..不遇な状況に陥ってしまうことは必然性がなくとも偶発的に遭遇してしまうことでしょう..
人とのいさかい..仕事でのミス..信頼していたはずが裏切られたとか、いろんな不遇状況にめぐり合う...
直面してしまうと以降、精神的にもダメージを受けてしまうこともあるでしょう..
一晩で忘却できるものもあれば、精神をむしばむような極度のダメージを永く引きずることもあるでしょう..
不幸にして巡りあってしまった災難..その例えも当てはまるでしょうか?
心が迷い路...出口が見つからない...
さて、考えましょう..
どんな悲惨な状況であっても..その時は見えないものですが、経験したことは未来にプラスワンになることなのだ...と意識を変える..ですね..
時間を経過後..当時の記憶を呼び込みましょう..
関わり合いは不幸だったか?..であっても経験したことは無駄ではなかった...
少し言葉を変えますが、苦労とは直面しているとき..つらいですね..
でも、その後振り返れば苦労があって今がある..そうでしょう?
無理くり流れを合わせているわけでもありませんが、いやな出来事も後に思い出せば..よい方向へ自身を導いてくれる指標だったと理解できるはず?
...かもしれません?
少し言葉を変えますね..
人は不幸への道筋を願い生きているわけではありませんね..
できる限りはよい方向へと願って生きているでしょう..
神様が常にあなたを見ていてくれる..そして少しでも良い道筋へと導いている..不幸、不遇は後々..楽しく生きるための試練?...そう思えばいいんです。
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